2012年01月07日
藤崎流毎日楽しくいるコツ
「いつも楽しそうでいいですねぇ・・・」と何度もいろんな人に言われてきた。
最初にそういわれたのはたぶん大学生のときだ。
ゼミの研究室で後輩の女子に言われたときだ。
「泰造さんって、毎日楽しそうですよねぇ」
確かあの時僕は5年生だったはずだ。
なんだか馬鹿を見て感心しているような感じだったが、不思議と悪い気はしなかった。
最近では、しょっちゅうお客様にも言われる。
それが自己肯定的に生きられている証拠であり、自己肯定的に生きることができずに苦しんでいる人がたくさんいるという理屈もわかっている。
自己肯定的に生きられるからこそ、他者を肯定することが出来る。
でも、一つ大事なことに気がついていなかった。
僕は、自分が自己肯定的に生きられているのは、生まれと育ちつまり家庭環境のせいであり、偶然なんだけれど100%自分に備わったこの自己肯定的に生きられる資質によって僕は毎日楽しいのだろう。
そう、思い込んでいた。
でもこれは間違いだった。
確かに、自分の資質はあるけれど、それを可能にしてくれる、僕の好きな自由を許容してくれる、寛容な環境のなかに僕がいるからこそ毎日楽しくいられたのだ。
両親、妻、友人たち、そして組織、船井総研という会社が僕を自由にさせてくれている。
もっと言えば日本国この国は世界でもまれな自由な国だ。
独裁者もいないし、徴兵制度もないし、人種差別もないし、宗教だって自由、戒律もない、クリスマスの後で初詣に行けるし、人前で酒も飲める。それでいて健康保険も失業手当もある。
だからこそ好きなことだけして暮らしていられたのだ。
そうだ、今まさに、重要なことに気がついた。
環境だけじゃない。
コンサルタントというこの職業、さらにはクライアントでさえも僕に自由の機会を与えてくれている。
自由が好きなクライアントの顔が目に浮かぶ。
中津のみんなも、C-POINTの野澤さんも、あの人も・・・・
そういえば昨日、船井総研の研修会で
「すいません、去年の年末2日程先に休ませてもらってイタリアに行ってました。いまユーロ圏を見ておかないと・・・」と言ったら
と本部長に伝えたら
「ええですよ、好きにしてください。」
と即答されたけれど、これも普通の組織じゃありえないことかもしれない。
それにしても、なぜ僕の周りの人たちはこんなにも僕を自由にさせてくれているのか?
クライアントの中にはもちろん自由をくれない人もあった。
そう、クライアントの希望にこちらがこたえられていないとき、クライアントは僕に自由はくれない。
意見も企画も否定されるだろうし、それでは役に立たないから首になる。
そういうことも多かった。
きっと、上司も僕があんまりにもひどく期待を裏切っていればこんな自由はくれないだろう。
もちろん、家族だって不義理を続ければ自由を奪おうとするだろう。
国だって僕らが良く稼いでしっかり税を納めていればこのすばらしい自由の機会を続けられるだろう。
期待に応えれば相応の自由が得られる。
でも、不相応に求めすぎれば不自由になる。
そして、相応か不相応かの評価は他者がする。
自己評価と他者評価のギャップが悩みの種だというけれど・・・・、
別に悩まなくてもよい。
ギャップがあるという事実とそれに対して悩むという自分の感情は別のものだから。
この分割が出来れば自己肯定的に生きられる。
<本日の結論、藤崎流毎日楽しくいるコツ>
1.自由を奪われるほどひどく怠けない。
2.他者の評価で悩まない。
3.怠けずもとめ過ぎずにいれば自由をくれる環境に身をおく
最初にそういわれたのはたぶん大学生のときだ。
ゼミの研究室で後輩の女子に言われたときだ。
「泰造さんって、毎日楽しそうですよねぇ」
確かあの時僕は5年生だったはずだ。
なんだか馬鹿を見て感心しているような感じだったが、不思議と悪い気はしなかった。
最近では、しょっちゅうお客様にも言われる。
それが自己肯定的に生きられている証拠であり、自己肯定的に生きることができずに苦しんでいる人がたくさんいるという理屈もわかっている。
自己肯定的に生きられるからこそ、他者を肯定することが出来る。
でも、一つ大事なことに気がついていなかった。
僕は、自分が自己肯定的に生きられているのは、生まれと育ちつまり家庭環境のせいであり、偶然なんだけれど100%自分に備わったこの自己肯定的に生きられる資質によって僕は毎日楽しいのだろう。
そう、思い込んでいた。
でもこれは間違いだった。
確かに、自分の資質はあるけれど、それを可能にしてくれる、僕の好きな自由を許容してくれる、寛容な環境のなかに僕がいるからこそ毎日楽しくいられたのだ。
両親、妻、友人たち、そして組織、船井総研という会社が僕を自由にさせてくれている。
もっと言えば日本国この国は世界でもまれな自由な国だ。
独裁者もいないし、徴兵制度もないし、人種差別もないし、宗教だって自由、戒律もない、クリスマスの後で初詣に行けるし、人前で酒も飲める。それでいて健康保険も失業手当もある。
だからこそ好きなことだけして暮らしていられたのだ。
そうだ、今まさに、重要なことに気がついた。
環境だけじゃない。
コンサルタントというこの職業、さらにはクライアントでさえも僕に自由の機会を与えてくれている。
自由が好きなクライアントの顔が目に浮かぶ。
中津のみんなも、C-POINTの野澤さんも、あの人も・・・・
そういえば昨日、船井総研の研修会で
「すいません、去年の年末2日程先に休ませてもらってイタリアに行ってました。いまユーロ圏を見ておかないと・・・」と言ったら
と本部長に伝えたら
「ええですよ、好きにしてください。」
と即答されたけれど、これも普通の組織じゃありえないことかもしれない。
それにしても、なぜ僕の周りの人たちはこんなにも僕を自由にさせてくれているのか?
クライアントの中にはもちろん自由をくれない人もあった。
そう、クライアントの希望にこちらがこたえられていないとき、クライアントは僕に自由はくれない。
意見も企画も否定されるだろうし、それでは役に立たないから首になる。
そういうことも多かった。
きっと、上司も僕があんまりにもひどく期待を裏切っていればこんな自由はくれないだろう。
もちろん、家族だって不義理を続ければ自由を奪おうとするだろう。
国だって僕らが良く稼いでしっかり税を納めていればこのすばらしい自由の機会を続けられるだろう。
期待に応えれば相応の自由が得られる。
でも、不相応に求めすぎれば不自由になる。
そして、相応か不相応かの評価は他者がする。
自己評価と他者評価のギャップが悩みの種だというけれど・・・・、
別に悩まなくてもよい。
ギャップがあるという事実とそれに対して悩むという自分の感情は別のものだから。
この分割が出来れば自己肯定的に生きられる。
<本日の結論、藤崎流毎日楽しくいるコツ>
1.自由を奪われるほどひどく怠けない。
2.他者の評価で悩まない。
3.怠けずもとめ過ぎずにいれば自由をくれる環境に身をおく
Posted by なるほど! at 08:47│Comments(0)
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